ユニット折り紙の部屋*ポリコラルウィールス

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映画『スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』感想

や~~っっと

 

スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

 

を見てきました。

なので感想をかいつまんでサクッと書きたいと思いま。。

 


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「黄昏る(たそがれる)」という日本語がありますが、この感覚は日本のみならず世界共通の普遍的感覚……さらに世界どころか銀河共通の感覚なのだと教えてくれた映画があります。
スターウォーズ エピソード4/新たなる希望』には、映画冒頭に主役のルーク・スカイウォーカーが正に黄昏るシーンがあります。

 

 

ルークは、銀河に辺境にある砂の惑星タトゥイーンのさらに辺境の田舎に生きる少年です。

同世代の友達もおらずイジけた日々を送る彼は、養父に進学の話を切り出しますが反対されてイジけてしまいます。

その日の野良仕事終わりに彼は砂漠に沈む夕日を眺め黄昏るのです。

 

 

これだけでも良いシーンなんです。

我々の住む地球より遥か遠くの星で生きる少年にも、我々地球人のティーンエイジャーと全く同じような家庭やコミュニティ内での孤独感を感じ、同じような悩みを抱えているのだと。

しかし今やスターウォーズの偉業は完全に普遍化されて、人によってはありがちなシーンと感じるかもしれません。

が、ここでは「ありがち」ではなく、前記の「普遍的」もしくは「銀河共通」という表現を使わせてもらいます。

スターウォーズの何処がSF作品としてだけではなく普遍的な名作であって、このシーンの何が銀河共通の名シーンなのかというと、そのルークの眺める先の夕日はなんと「2つ」あるのです。

 

 

惑星タトゥイーンは、銀河共和国や銀河帝国の統治外、銀河の外れ、アウター・リム・テリトリーにあるアケニス宙域のタトゥ星系の惑星です。

そのタトゥ星系にはタトゥIとタトゥIIという双子の太陽が坐しているのですね。

だから惑星タトゥイーンの砂漠に沈む夕日は「2つ」見えるのです。
空と砂漠の境界に触れる夕日、それにやや遅れて地平線の上に浮かぶ夕日、二つの太陽、それを望みながら黄昏る少年ーー

 


サムシングワンダフル!

 


SFにおけるセンスオブワンダーとは上記のような「普遍性」や「既視感」と言ったものと、SFでしか描きえない「未知」や「未体験」と呼べるものの、その両者の「融合」なのだと思います。

どちらかかが欠けても、それは正に片手落ちになってしまうのでしょう。

 

 

ーー前振りが長くなりましたが、表題であるスターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』にはこのシーンが再びあります。
主役のレイが惑星タトゥイーンのルークの育った家にて、地平線上に浮かぶ2つの太陽を見つめるというシーンです。

 

 

スターウォーズの1作目の『新たなる希望』から完結作のエピソード9に至るまで数える事50年越しの壮大なリフレインですね。

(新三部作の完結編『スターウォーズ エピソード3/シスの復讐』にも全く同じシーンがありましたが。。)

スターウォーズのエピソード順と公開順は一致していません。今更スターウォーズの細い説明や私観を語るのも面映いので止めときます。。)

言うまでもなくこれは監督のJ・J・エイブラムスの、一作目の『新たなる希望』に対するオマージュでしょう。
wikipediaに好きな映画で『新たなる希望』って書いてあるだけありますな……

 

 

ん?でもアレ?

タイトルが『スカイウォーカーの夜明け』って事はもしかしてあのシーンは夜明けなの?
じゃ、じゃぁ黄昏じゃないじゃん?。。??。。?。?

ということは私が何十年も黄昏だと思ってたあのシーンはそもそも夜明けだったの???

誰か知ってたら教えてください。。

 

 

冒頭に記したようにほんとにかいつまんでの感想ですが。。。

本格的に語ると長くなるので。。